【解説】土地の所有権についての歴史を説明します(前編)

 

以前に、日本において借地権が成り立った歴史について説明をしました。借地権の歴史を理解するためには、土地の所有権についても知っておく必要があるでしょう。

 

そこで、今回は土地の所有権についての歴史をまとめてみました。

さて、日本では土地の所有権という概念はいつからあったのでしょうか。

 

皆さんもご存知の通り、現在の日本では土地を所有することが認められています。しかしながら、世界では土地の所有権を認めていない国もあります。では、日本においても大昔から土地を所有するという概念があったのでしょうか。

 

少し歴史を遡ってみたいと思います。

 

実は、日本における不動産の歴史については、学生時代に日本史の授業で教わっている内容だと思います。それでは、懐かしいキーワードとともに、振り返ってみたいと思います。

 

文献で振り返ることが可能な程度の過去の飛鳥時代まで遡ります。

 

6世紀以降、皇族や豪族といった権力を持つ一族が、自らの勢力を拡大させる課程で土地を実効的に支配していき、その縄張りを排他的に主張することで土地所有に関する概念を持っていたものと思われます。ただし、国土の全てにおいて所有者が決まっている現代とは違い、人口が少なく手つかずの未開の地が多く存在していた時代において、所有権に関する感覚が現代とは乖離していたかもしれません。また、動物においても縄張りという概念はありますから、おそらくもっと以前から土地所有権の様な概念はあったであろうと推測されます。

 

話を戻しますと、飛鳥時代に豪族の蘇我氏の一族が勢力を伸ばし権勢をほしいままにします。蘇我氏は強大になった権力を盾に、次第に天皇家へ横暴な振る舞いをするようになりました。その後、天皇家へ権力を戻したいと考える勢力によって、あの有名な「大化の改新(645年)」が起こりました。改新という表現の通り、大化の改新は中央集権国を目指す改革を意味します。改革案の1つに、公地公民制(改新の詔第1条)があり、土地と人民の所有権は国家に帰属させています。豪族に振り回されない強い国家作りをする上で重要な転換点だったと言えるでしょう。

 

少し長くなりましたが、所有権を禁止する政策が歴史上で初めて確認された出来事と言えます。

 

公地公民制により土地は国家の所属となりましたが、この時代の主要産業は農業ですので、土地を人民に貸し出さないと飢えてしまいます。そこで、班田収授法を定めて農地の貸し出しを行い、人民には税を課しました。土地は国家の所有物ですから、利用者の死後には国家へ返す必要がありました。しかし、課せられた税負担が重く、この班田収授法は上手く機能しなかったと言われています。

 

723年、機能不全に陥った税制度を改革すべく三世一身の法を制定しました。これは田畑の開墾を目的とし、水路等の設備を新設して開墾をした場合は、字が示すとおり三世代に渡る土地の所有を認めるという制度です。国家は田畑の増加を目的とし開墾を促進させるために、時限的ではありますが土地の所有を認めることにしました。しかし、現在よりも平均寿命の短かった時代においては、三世代という時間は短く感じられたのでしょう。開墾にかける労力はとても大きく、費用対効果でメリットを感じにくかったのかもしれません。僅か20年で更なる方向転換を強いられました。

 

743年、墾田永年私財法が制定されました。三世一身の法で設けた期限を撤廃し、永代まで所有権を認められるようになりました。大化の改新から続いた公地公民制が崩壊し、再び土地の所有権は国から民に戻りました。大化の改新から約百年を経て、土地の所有権を国が認めるように方向転換をしたことになります。

 

この墾田永年私財法が制定された743年以降、田畑永代売買禁止令が出された江戸時代の1643年まで、日本ではしばらく土地の所有が認められることになります。

 

(後編へ続く)

 

 

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